三菱重工業とロッキード・マーティンが共同開発した支援戦闘機。
機能が形を決定する——その哲学が、デルタ翼の鋭角に宿る。
着る、戦術。
VESSEL RECORD
F-2は、航空自衛隊が保有・運用する支援戦闘機(現・戦闘機)である。その出発点は1982年(昭和57年)、国防会議で正式に「次期支援戦闘機(FS-X)」の整備方針が決定されたことに遡る。F-1の後継機として求められた要件は明確だった——対艦ミサイルASMを4発携行し、戦闘行動半径830km以上、全天候運用能力を持つこと。当初、日本は国産開発を目指したが、日米貿易摩擦に端を発する政治的圧力によって計画は変容した。1988年(昭和63年)、F-16をベースとする日米共同開発へ移行。三菱重工業が主契約企業、ロッキード・マーティンが協力企業として設計に着手した。
しかしF-2は、F-16の改良型ではない。主翼面積を25%拡大するために採用した炭素繊維強化複合材(CFRP)による一体成形主翼は、当時の量産機として世界最大規模の複合材構造物だった。さらにアクティブ・フェーズドアレイレーダー(J/APG-1)を搭載——西側諸国の量産戦闘機として初の実装であり、複数目標の同時追尾と洋上での艦船識別を可能にした。デジタル式フライ・バイ・ワイヤはCCV研究機T-2CCVが蓄積した国産技術の継承だ。機体の約25%が複合材で構成され、F-16との外見上の類似とは裏腹に、内部の技術蓄積は根本的に別物だった。
1995年(平成7年)に初飛行を果たし、2000年(平成12年)より部隊配備が開始。単座型F-2Aと複座型F-2Bを合わせて94機が調達され、百里・築城・三沢・松島の各基地に配備された。2005年(平成17年)の防衛大綱改定で支援戦闘機の区分が廃止されると、対空戦闘能力の強化改修も継続的に実施された。国産機であるためソフトウェアの自主改修が可能という点は、ライセンス生産機では得られない運用上の優位だった。
三菱の技術と自衛隊の意志が交差した場所に、この機体は生まれた。炭素繊維の翼と世界初のアクティブレーダー——F-2とは、日本が国産開発を諦めなかった証拠だ。
— NECOKOUCAN — VESSEL RECORD最大速度
総調達数(A型+B型)
対艦ミサイル最大搭載数
DESIGN INTENT
このデザインが捉えようとしたのは、F-2が持つ「機能が形を決定する」という哲学だ。主翼面積拡大のために採用されたクローズド・カップルド・デルタ翼の鋭角、胴体と主翼の境界が消えるブレンデッドウィング構造——それらは全て対艦攻撃という任務のために選択された形であり、美のために設計されたのではなく、任務のために設計された結果として生まれた美がある。
カラーリングはJASDF機の洋上迷彩を参照した。白と灰青の2トーンは、海面からの見上げ角度では空に溶け込み、上空からは海面パターンに紛れる。二方向に同時に消えるための色だ。着る、戦術。——F-2はその言葉を体現している。
COORDINATE
F-2は、任務のために設計された機体だ。洋上迷彩の白と灰青は、戦闘機が海と空の境界に消えることを求めて選ばれた。この服を着るとき、同じ問いが生まれる——あなたは、どの空に立つか。3色を提案する。
3:4
- F-2洋上迷彩の上半色・エアスペリオリティブルーに最も近い系統
- 高度12,000m——J/APG-1レーダーが目標を捕捉する成層圏の深青
- 黒プリントとの対比でデルタ翼シルエットが空に浮かぶ
→ インディゴはすべての空軍色の祖先だ。この一枚を選ぶとき、あなたはF-2が守るシーレーンの色を纏う。
3:4
- 夜間出撃——三沢基地の滑走路の暗闇に機体が消える瞬間の色
- CFRPの黒い主翼と同じ素材感。プリントのデルタ翼が際立つ
- 第8飛行隊のスコードロンカラーとして最も説得力のある選択
→ 三沢基地の夜は深い。滑走路の端に消えるF-2Aを見送る色。着る者の輪郭を締め、機体の意志だけを前面に出す。
3:4
- F-2洋上迷彩の下半色——機体腹部の灰青、海面に溶け込む色
- JASDF制服の青灰系統に最も近い。最も「基地の空気」を纏う
- インディゴとブラックの中間。最も「任務中のF-2」に近い色
→ 洋上低空を突進するF-2の腹は、この色で海に消える。スレートを選ぶ者は、消えることを戦術にしている。