スリガオ海峡の暗闇に突入し、帝国海軍と共に沈んだ。
最後の命令——「われをかえりみず前進せよ」。
着る、戦術。
VESSEL RECORD
山城は、大日本帝国海軍の扶桑型戦艦2番艦である。1913年、横須賀海軍工廠で起工。1917年3月31日に竣工したこの艦は、全長212メートル、基準排水量33,800トンの巨艦として帝国海軍の主力を担った。その後、大改装によって艦橋は独特の塔型構造へと進化し、35.6cm主砲12門という圧倒的な火力を備えた。』鬼の山城』と水兵たちに恐れられた厳格な訓練艦でもあった。
太平洋戦争前半、山城は内地で訓練艦として待機を続けた。速力が遅く機動部隊への編入に不向きとされた扶桑型の運命は、艦隊決戦という帝国海軍の夢が潰えていく過程そのものだった。しかし1944年秋、捷一号作戦の発動によって山城に最後の任務が与えられた。西村祥治中将率いる第三夜戦部隊の旗艦として、スリガオ海峡経由でレイテ湾に突入するという、最初から生還の見込みがない作戦だった。
1944年10月25日午前3時40分、複数の魚雷を受けて速力が落ちた山城から、西村司令官の最後の命令が発せられた——「われ魚雷攻撃をうく、各艦はわれをかえりみず前進し、敵を攻撃すべし」。その後、米艦隊戦艦6隻の集中砲火を受けた山城は4時19分に転覆沈没した。生存者は約1,500名の乗組員のうちわずか10名。残りの者たちは、スリガオの夜の海に消えた。
われをかえりみず前進せよ——その命令を下した者は、すでに自分が帰らないことを知っていた。山城の最後は、敗北ではなく、覚悟の完遂だった。
— NECOKOUCAN — VESSEL RECORD主砲口径・門数
満載排水量(改装後)
スリガオ海峡 生存者数
DESIGN INTENT
山城のデザインが捉えようとしたのは、扶桑型の異形の美しさだ。段重ねに積み上がる砲塔、塔型艦橋の複雑な稜線——戦艦としての合理性より、ある種の「過剰さ」が山城のシルエットを作っている。その過剰さは、帝国日本が抱いていた力への意志そのものだ。
カラーリングは帝国海軍標準の軍艦色(グレー系)を基調とした。しかし、このデザインはただの記録ではない。スリガオの暗闇に消えた艦のシルエットを纏うとき、着る者はその覚悟を問われる。着る、戦術。——山城はその問いを今も投げかけている。
COORDINATE
山城は、覚悟を持って暗闇に突入した艦だ。スリガオ海峡の夜——、たった2隻の戦艦に米海軍は6隻の戦艦他多数を揃え、西村艦隊はその数も知らず、それでも前に進んだ。この服を着るとき、同じ問いが生まれる——あなたは、引き返せない場所で何を選ぶか。3色を提案する。
PHOTO 01
- 山城が突入した1944年10月25日未明——スリガオ海峡の完全な闇
- 白プリントとの対比で扶桑型独特の塔型艦橋シルエットが最大限に際立つ
- 覚悟を持って暗闇に向かう者だけが纏える、最も誠実な一色
→ 午前4時19分、山城は暗闇の中で沈んだ。ブラックはその夜の色だ。引き返せない場所で選んだ色。
PHOTO 02
- 35.6cm主砲12門が火を噴く瞬間——砲口から広がる煙の色
- 帝国海軍の軍艦色(グレー系)に最も近い実用的なストリート色
- ブラックとスレートの中間。最も「都市で戦える」軍色
→ 鉄の臭いと硝煙——山城が最後に纏った色。チャコールを選ぶ者は、戦いの記憶を身に刻む。
PHOTO 03
- 帝国海軍標準の軍艦外舷塗装色——山城が全生涯をまとった色
- 出撃前の柱島泊地、朝の水面に浮かぶ山城の艦体はこの色だった
- 最も「正統」な山城の色。艦艇デザインと最高の解像度で共鳴する
→ 帝国海軍の灰は、ただの塗料ではない。それは「鉄が国を守る」という意志の色だ。スレートを纏う者は、その重さを知っている。