日本が独力で設計した、初の超弩級戦艦。
36cm砲6基12門——異形の塔型艦橋が示す、
国産の誇りと限界の美学。着る、戦術。
VESSEL RECORD
扶桑は、大日本帝国海軍が独力で設計・建造した日本初の超弩級戦艦である。1912年3月11日、呉海軍工廠で起工。1915年11月8日に竣工したこの艦は、3万トン級の巨艦をドックで建造するという世界初の試みによって誕生した。36cm連装砲6基12門を搭載した扶桑型1番艦として、帝国海軍の技術的自立を象徴する存在だった。艦名「扶桑」は日本国の古い異名であり、その名に込められた国家の意志は艦体の鋼にまで刻まれていた。
竣工後の扶桑は、主砲発砲時の爆風問題や操艦の難しさなど、純国産設計ゆえの課題を抱えていた。しかし1930年からの近代化大改装によって、艦橋は水面から50メートルを超える塔型構造へと変貌し、機関出力の倍増と主砲仰角の引き上げで攻防両面の能力が向上した。その異形の塔型艦橋は、姉妹艦山城と並んで日本戦艦中最高の高さを誇り、太平洋の水平線に独特のシルエットを刻んだ。
太平洋戦争緒戦では柱島泊地に留まり、訓練と待機を繰り返した。1944年秋、捷一号作戦により扶桑は最後の任務を与えられた。西村祥治中将の第三夜戦部隊の一艦として、姉妹艦山城と共にスリガオ海峡に突入。1944年10月25日午前3時10分頃、米軍駆逐艦の魚雷を受けて落伍。その後爆沈した。日本独自設計の超弩級戦艦第1号は、姉妹艦より先に、スリガオの海に沈んだ。
日本がはじめて独力で設計した超弩級戦艦。その誕生から最後まで、扶桑は帝国海軍の技術的誇りと限界を同時に体現し続けた。
— NECOKOUCAN — VESSEL RECORD主砲口径・門数(6基)
塔型艦橋の高さ(改装後)
日本初の純国産超弩級戦艦
DESIGN INTENT
扶桑のデザインが表現するのは、「純国産の誇りと異形の美」だ。36cm砲6基を搭載するために生まれた、中央部への砲塔集中という独特の配置——その結果として水面から50メートルを超えた塔型艦橋のシルエットは、合理性を超えた何かを持っている。設計の矛盾と制約が生んだ偶然の造形美だ。
このTシャツには、その異形のシルエットが刻まれている。着る者は、完璧でないものが持つ固有の迫力を纏う。帝国の意志と技術的限界が交差した場所に生まれた形——それが扶桑だ。着る、戦術。
COORDINATE
扶桑は、日本が独力でつくった最初の超弩級戦艦だ。完璧ではなかった。操艦は難しく、爆風問題もあった。それでも帝国海軍は扶桑を造り、扶桑と共に戦った。この服を着るとき、同じ問いが生まれる——完璧でないものを、それでも選ぶか。3色を提案する。
PHOTO 01
- 1912年、呉海軍工廠のドックで建造が始まった夜の海の色
- 帝国海軍制服の正統色——扶桑を設計した者たちが纏っていた色
- 白・ゴールドプリントが最大限に際立つ。艦橋シルエットが深夜の海に浮かぶ
→ 扶桑が生まれた呉の深夜の海。日本初の純国産超弩級戦艦を建造した者たちの意志の色。ネイビーを纏うとき、あなたはその誇りを継ぐ。
PHOTO 02
- 扶桑が全生涯を纏った帝国海軍標準の軍艦外舷塗装色
- 50mの塔型艦橋が瀬戸内海に映す色——それがこのスレートだ
- 最も「扶桑らしい」一色。艦体デザインと完璧に共鳴する
→ 柱島泊地に停泊する扶桑の艦体は、いつもこの色だった。塔型艦橋の異形のシルエットが、灰色の瀬戸内海に静かに立っていた。
PHOTO 03
- 36cm砲12門の一斉射——全艦を覆う砲煙と爆風の色
- スリガオの夜、魚雷を受けながらも砲撃を続けた最後の色
- ネイビーとブラックの中間。最も「現代の街で使える」戦術色
→ 1944年10月25日午前3時——扶桑が魚雷を受けて炎上しながらも砲撃を続けた夜。チャコールはその最後の砲煙の色だ。