ミリタリーファンが駆逐艦といえば、真っ先に思い出す駆逐艦といえば、「雪風」でしょう。その雪風の開戦時状態をイラストで再現しました。
駆逐艦雪風の歴史と性能、そしてその運命
駆逐艦雪風は、日本海軍の陽炎型駆逐艦の8番艦として建造され、第二次世界大戦を通じて数々の激戦を生き抜きました。本記事では、雪風の誕生から戦後に至るまでの歴史、性能諸元、兵装の解説、そして活躍した海戦について解説します。
誕生の背景
雪風は、日本海軍の艦隊型駆逐艦の一つとして、1938年に呉海軍工廠で起工されました。陽炎型駆逐艦(かげろうがたくちくかん)は、大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦の艦級である。全19隻が建造された陽炎型は、艦隊の前衛として敵艦艇と交戦し、護衛や哨戒任務もこなせる多用途性を備えた艦級です。雪風は1940年1月20日に進水し、同年8月20日に竣工しました。

性能諸元
- 排水量: 基準1,920トン、満載時2,520トン
- 全長: 118.5メートル
- 全幅: 10.8メートル
- 吃水: 3.8メートル
- 主機関: 蒸気タービン2基、出力52,000馬力
- 速力: 最大35.5ノット
- 航続距離: 18ノットで5,000海里
- 乗員: 約240名
兵装
- 主砲: 12.7cm連装砲3基(計6門)
- 高い射程と射速を持つ砲で、水上戦闘および対空戦闘に対応可能。
- 魚雷: 61cm四連装魚雷発射管2基(計8門)
- 九三式酸素魚雷を搭載。威力と射程で他国の魚雷を圧倒しました。
- 高角砲: 25mm機銃(初期は連装2基、後に増強)
- 対空防御のための火力。戦争後半には多数の機銃が追加装備されました。
- 爆雷: 爆雷投射機2基
- 対潜水艦戦に使用。
活躍した海戦
戦争中の活躍と戦歴
開戦初期
- レガスピ上陸作戦(1941年12月):P-40ウォーホーク戦闘機の機銃掃射にて損傷。12月27日、ミンダナオ島のダバオで工作艦明石にて修理
- スラバヤ沖海戦(1942年2月):魚雷発射・海戦後、漂流中の約40名のデ・ロイテルなどの乗組員を救助した
中盤の海戦と輸送任務
- 第三次ソロモン海戦(1942年11月):激戦で戦死者初出。比叡の乗員救助。
- ガダルカナル撤収作戦(ケ号作戦)(1943年2月):3度参加、成功。
- ビスマルク海海戦(1943年3月):護衛艦として活躍し一部救助。
- コロンバンガラ島沖海戦(1943年7月):魚雷命中・戦果大。
戦争終盤
- マリアナ沖海戦(1944年6月):補給部隊を護衛。探照灯作戦で敵機撃墜。
- レイテ沖海戦(1944年10月):栗田艦隊所属。「サマール沖海戦」で戦闘参加。
- 坊ノ岬沖海戦(1945年4月):大和を護衛し105名を救助。
- 最後の戦い:「宮津空襲」(1945年7月)で軽微な損傷、艦歴最多の負傷者20名。
戦後
- 復員輸送船として15回の輸送、延べ1万3千人以上救助。
- 日本の連合国軍引き渡し後、中華民国へ譲渡。
- 丹陽(たんよう) と改名し、中華民国海軍で旗艦として活躍。
- 内戦中およびその後も人民解放軍と交戦、幸運艦として活躍。
最後とその後
- 1965年:退役、1969年に台風で大破・解体。
- 【雪風】の遺物(舵輪、錨)は日本に返還され、現在江田島に展示。
- 1964年:返還運動が始まり、関連映画や書籍も登場。
- 自衛隊初期の護衛艦「ゆきかぜ」に名が継承される。
戦後の運命
雪風は戦争を通じて無傷に近い状態を保ち、「幸運艦」と称されました。終戦後、賠償艦として中華民国(後の台湾)に引き渡され、「丹陽」と改名。中華民国海軍の主力艦として使用され、1966年に退役。その後、雪風の舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示保存されています。